◆ 2022/02/24(木)
今回は「信号」の話。信号といえば思い出すのは「SMAPの香取信号」「オリラジ藤森信号」「あばよ!でお馴染みの柳沢信号」。はい、ワロスワロス。ってことで、本題に入ります。ごめんなさい。
普段生活していて吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」クラスの田舎ではない限り、日常で行手を遮る「赤と青と黄色のシグナル」。シブがき隊で例えると「やっくん、もっくん、ふっくん」。太陽戦隊サンバルカンで例えると「バルイーグル・バルシャーク・バルパンサー」、ちなみに「黄色の人はカレー好き」というイメージはこのサンバルカンが起源と言われています。(だからどーした)。
そんな信号。「世界に誇るルールを守る超真面目な国・ジャパン」なのだからみんな真面目に守ってる。信号無視なんてするわけも・・ある。めっちゃある!さすがに車で平然と信号無視するクレイジーなあんちくしょうはかなり稀であるが、それは直接的に命に関わるのと「反則金取られるのがイヤ」という意識が働いてるから。
「路上駐車をしないのは駐禁のマークがあるからじゃない!迷惑だからだ!
酒飲んだら運転しないのは検問をやってるからじゃない!危ないからなんだ!」
(ラーメンズ「不透明な会話」より)
・・のようにルールの本質が間違って刷り込まれている人はきっと少なくない。
歩行者や自転車は「歩行免許証」「自転車運転免許証」はない。白バイが隠れていてネチネチ「ここ信号あったの見えてますかぁぁぁぁ?」とエナジードレインとマネードレインの呪法で攻撃されることもない。「信号無視で違反点数が6点なので、30日間歩かないでください」とはならないのだ。
「道路交通法」という呪縛は、免許所持者のみ脅威で、歩行者属性のプレイヤーには対岸の火事ような「大変だね、そっちの世界は」ぐらいの認識と思っているのだろう。
だから勝手な「マイ治外法権」を作り「マイジャスティス」を振りかざして、歩行者や自転車は平気で信号無視ができてしまう。だからルールを破っている、危険因子が存在するという意識は極めて薄い。
私は「”馬鹿正直図鑑”というのがあったらで見開きで紹介される歴史上の人物」の前世の記憶を引き継いでいるのか、夜中に人も車もない5歩くらいで渡れるミニミニ横断歩道でも、強迫観念なのか、パブロフの犬なのか、早めのパブロンなのか”赤いライトの中でぬーーっと突っ立ってる人”が目に入ると足が止まってしまう。さすがに「渡っちゃえばいいじゃない」と心の悪魔が囁くが、そう思っているうちに”青いライトの中で悠然と歩いている人”にバトンタッチしている。
そんな私の横を信号をノールックの如く颯爽と走っていく自転車を見ると「自分もそっち側の人間の要素も欲しい」という気持ちと、ルールを守らない愚者への嫌悪感が入り混じった気持ちになる。
ルールを守っている私に正義があるのは間違いないが、どうにも解せない気分だ。
ひなた
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