◆ 2022/02/25(木)
昨日の戯言「道路交通法」という呪縛。正義とは実に解せぬものだ。では、かたい絆に思いをよせて語り尽くせぬ話があったので長渕に免じてお付き合いください。
ある仲良しの母娘が手を繋いでショッピング。ファッションセンターしまむらの袋を下げて、きっとお目当ての戸愚呂(弟)の「指弾」のTシャツでも買えたのだろう。キャッキャと仲睦まじい様子。裏路地に入るだけの道に渡る2mに満たない横断歩道、どうやらその先のドムドムバーガーでランチをするつもりらしい。母親が左右を見て、足早に娘の手を引いて横断した。
「いやいや・・赤だろ!」
こんな光景を見るのは悲しいことに少なくはない。まるっきり赤じゃなくても「ほら○○ちゃん!信号変わっちゃうから急いで!」と点滅する青信号を見て慌て横断するシーンはきっともっと多く見る。
一応、大人である親が左右の安全確認をし、横断しているからきっと本当に車は来ていない。しかし親に安全確認をしてもらって、手を引っ張られて「安全」に渡った子供には「赤信号でも安全に渡れた」「点滅している信号は急いで渡ればいい」という成功体験のみが刷り込まれてしまう。
そして大人に手を引っ張られていない時に悲劇は起こる。子供は認識力、危険予知はまだ未成熟であることに加え、身長が低いことから車両から死角になりやすい。
子供は親の背中、親の言動を吸収して、それを正義と見据え成長する。いや成長してしまう。極論、親が人を殺していたら、子供には人殺しは正義という認識で育つ。
交通事故にまつわる心理分析、事後の調査によると事故にあった子供の親は「自身の安全に対する認識も甘い傾向にある」という統計があらわれている。
大切な子供を「交通事故の脅威」から本当の意味で守るということは、教育以前の問題で「点滅している信号はきちんと立ち止まる」「大げさに安全確認している姿を見せる」。この日常の繰り返しから生まれる「正しい成功体験」の蓄積なのだろう。
それと日常的に信号無視をしがちの全人類に言いたい。信号無視して自分が痛い目を見るのは勝手だが「同じ信号待ちに子供もいた場合」はその子供の未来のために、少なくてもその瞬間だけでもいい、大人として背中を見せてあげて欲しい。「正しい安全の成功体験」の蓄積に協力して欲しいと思う。
ひなた
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